自己保存録

自分の轍、足跡

自分という人間について

職場の直属の上司が10月から変わって一月が経つ。

一月が経って自分という人間を見定めたのか、それとも堪忍袋の緒が切れたのかは分からないが先日自分がいかに駄目な人間かという事を1時間強説教されてしまった。

そもそも何故通常新卒がするような現場ではない所に配属させたのだとか色々文句はあるのだがこの説教にぐうの音も出ない程にノックアウトされてしまい、休日であっても仕事関係の考えがふっと浮かぶ等オンオフが出来ない状態に陥ってしまった。

自分がお世辞にも出来た人間ではない事は自分がよく知っている。

しかし、改めて自分のクズっぷりのような物を突き付けられるとかなり来る物があった。

怒りでこのようなフラストレーションを発散できるような人間ならこういう状態にはならないのだろう。

思えば今まで生きてきて憤りのような物を感じた事はあっても怒りで発散させたような事は一度もなかった。

 

この先どう考え、どう動いて生きていけばいいのか、もはや何もわからない。

先日までも分からなかったがそれは意識をしていなかった事もあって大した問題にはしていなかった。

だが現在は何もわからないのだ。五里霧中という言葉で表現できているのかもわからない。

 

この『わからない』事がいつか解決できる日が来るのだろうか。

それとも今まで通り考えずに過ごした方がいいのだろうか。

 

そういう考えを頭の片隅に分投げて、日曜の夜を冬のボーナスの使い道をネットで探しつつ月曜に怯えて過ごしています。